【青天を衝け】渋沢栄一について調べてみた。

吉沢亮


 

先日、学童の子がドラマ『青天を衝け』について熱く語ってたのですが、話を聞いていて渋沢栄一さんのことをよく知らないことに気づきました。

 

しかし吉沢亮さんをキャスティングしたのはナイスですね。

あいかわらずイケメンすぎる・・・(羨

 

そして渋沢さんって新一万円札になる方らしいですね!(いまごろ)

 

ちなみに、

5千円札は津田梅子さん(津田塾大学設立者)

千円札は北里柴三郎さん(感染症医学に関わった『近代医学の父』)

とのことで、2024年度に発行予定だそうです。

 

 

さて、調べてみた渋沢栄一さんの生い立ちはざっくり次のとおりです。

 

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(参照:wikipedia)

 

1840年(天保11年)2月13日に長男として現埼玉県に生まれる。

渋沢家は藍玉の製造や養蚕、農業を手がけていた。

栄一は10代前半から、父と共に藍玉を売り歩き原材料の調達にも携わった。

論語なや日本外史などから学び、剣術にも精を出した。

 

(幼い頃から商業に関わり、さらに学問、剣術と文武の才を磨いていたのですね)

 

1861年(文久元年・21才)には江戸を出て尊王攘夷に目覚める。

一橋慶喜に仕えて、農兵の募集を行う。

 

1866年(慶応2年・26才)慶喜が将軍になったため、栄一は幕臣となる。

 

(強運すぎる。)

 

その後フランスへ渡航。各地で産業や制度を見聞。

帰国後に商法会議所(銀行と物産販売)を設立。

 

1869年(明治2年・29才)民部省に入省。度量衡(どりょうこう:長さ、体積、重さ)や国立銀行条例の制定に携わる。

 

1871年(明治4年・31才)民部省が大蔵省に統合。

 

1873年(明治6年・33才)大蔵省を辞職。設立を指導した第一国立銀行(現みずほ銀行)の総監役になる。新興の商工業者の創業指導や資金支援を展開。

 

1892年(明治25年・52才)東京貯蓄銀行(現りそな銀行)設立。取締役会長を務める。

 

 

ちと長くなってきたので端折っていきます。

事業関連→日本製紙の経営、いすず自動車や日本経済新聞の創業、創刊を支援。他500以上の企業の設立や運営に関わったと言われている。1873〜1909年の32年間、実業界に携わった。

 

(500以上の企業に関わったって・・・多忙さが想像できないレベルですね)

 

1931年(昭和6年・91才)死去。

 

 

すごい人生を送っていますね。

事業関連の動きを見ると、個人レベルで日本の発展に大きく貢献しています。

さすが『近代日本経済の父』、新一万円札になるのも納得できました。

 

 


 

 

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